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ヘヴィメタル(Heavy Metal)は音楽のジャンルの一つで、厚いギターの壁と重いドラムビートが特徴のロックミュージック。1970年代後半から1980年代はじめにかけて現れたロックのスタイルで、ハードロックの延長にある。両者を並べてHR/HMと表現することもあるようにその境界線は曖昧である。ただし、現在のヘヴィメタルは、1970年代のハードロックの音とはかけ離れたものになっている。 目次 [非表示] 1 語源 2 音楽的特徴 3 歴史 3.1 ヘヴィメタル黎明期 3.2 ヘヴィメタルの確立 3.3 NWOBHM 3.4 LAメタル・ムーブメント 3.5 スラッシュ・メタル 3.6 ヘヴィメタルの産業化と全盛期 3.7 古典的ヘヴィメタルの衰退〜オルタナティブ・メタルの勃興 3.8 2000年代以降のヘヴィメタル 4 日本におけるヘヴィメタル 4.1 1980年代初期 4.2 1980年代中期(速弾きブーム) 4.3 1980年代中期(ポップメタルへの反逆) 4.4 1980年代後半(バンドブーム) 4.5 1990年代 4.6 2000年代(現在の日本におけるヘヴィメタル) 5 ヘヴィメタルのサブジャンル 6 主要ヘヴィメタルバンド 7 へヴィメタルを取り扱うメディア 7.1 テレビ番組 7.2 ラジオ番組 7.3 雑誌 7.4 休刊した雑誌 7.5 漫画 8 参考文献 [編集] 語源 『ヘヴィメタル』の語源には諸説あるが、以下に有名なものを記載する。 ウィリアム・バロウズが麻薬中毒者の究極状態を表現するために作った造語『ヘヴィ・メタル』を、音楽ライターのサンディ・パールマンがブルー・オイスター・カルトの音楽性を表現するために転用したのが最初、とする説。この説が一番有力とされている。 1960年代のギタリストジミ・ヘンドリックスのコンサートを見たニューヨーク・タイムズの記者が、彼が出す音を今までに聞いたことの無い音の形容として「空から重金属(へヴィメタル)を落としたような音」として表現したのが最初、とする説。 レッド・ツェッペリンの「硬質でありつつ柔軟な」音楽性をSF小説「へヴィメタル」に登場する『柔らかい金属=へヴィメタル』に例えた(ヘヴィメタルのように柔らかく、ロックだけに捉われず、音楽的に柔軟である、とした)ものを最初とする説。 映画「イージー・ライダー」の挿入曲として有名なステッペン・ウルフ「ワイルドで行こう - Born To Be Wild - 」の歌詞にある「Heavy metal thunder」に由来するという説。 [編集] 音楽的特徴 メンバー構成は、ロック一般に見られるものとあまり変わらず、ギター、ボーカル、ベース、ドラムを主軸にたまにキーボードが加わる。ただし、ヘヴィメタルバンドにはギタリストが二人いる事が多い。また、多くの場合、重いディストーションをかけたギターとバスドラムを二つ用意したドラムセットが使われている。ギターはリズムギターとリードギターに分かれている場合と、二人が同じリフを弾いて重さを増している場合の二つがある。リフはパワーコードを主体とし、ベースはリズムギターのユニゾンを弾いている事が多い。ヘヴィメタルでは、ギターソロが重視される場合が多く、多くのバンドが曲中に必ずギターソロを入れる。特にギタリストが二人いる場合は、二人が交互にギターソロを弾く事もある。 通例のポピュラー音楽のテンポが概ね 80-130bpmであるのに比して、80-200bpm以上と総じて速いテンポの曲または曲の一部を許容する傾向を持つ。悪魔崇拝を公言するバンドもあるが、ファッションやアルバム&曲のコンセプトなどのイメージ面に於いてオカルトのモチーフ(逆十字、逆ペンタグラム、666など)を借用しているだけのバンドもあり、必ずしもそのバンドが悪魔崇拝しているとは限らない。そのサウンドの印象を言い表わすに「重低音」という表現がよく用いられるが、ヘヴィメタルも含めてロックに於いて演奏される一番低い周波数はせいぜい100Hz止まりで「低中音(中音域の低い領域)」または単に「低音」と呼ぶ音響学の常識とは懸け離れている、「あくまで感覚的表現」である点には留意する必要がある。ただし、ヘヴィメタルでは、低音が重要視されるのも事実であり、ギター、ベースをチューニングを下げて通常より低い音が出せるようにしたり、アタックの強いバスドラムを左右の足で継続的に踏みつづけるなどの特徴が見られる。 音楽機材の進化と多様化に多大な影響を与えたと言われる。世間的には派手なファッションでとにかくうるさい音楽、といったイメージで捉えられたが、間違いとは言いきれないものの、一部のものが誇張されたきらいがある。 ヘヴィメタルは比較的古くから、アリーナ向けの商業ロックとアンダーグラウンドにシーンが分かれていて、また時代が下るごとにシーンも細分化が進んできた。シーンの分化はすなわち音楽性の多様性を生み出し、そのため様々なサブジャンルを内包している。ヘヴィメタルのサブジャンル参照。 [編集] 歴史 [編集] ヘヴィメタル黎明期 今日ヘヴィメタルと形容される音を最初に取り扱ったバンドは1970年2月13日の金曜日にデビューしたバンドブラック・サバスであったと言われているが、諸説あり、現在でも議論が交わされている。しかし、現在のヘヴィロックシーンまで脈々と受け継がれる暗く重い彼らの音楽は、当時としては異端であったことは間違いない。 この説への反論としてビートルズ「ヘルター・スケルター - Helter Skelter」(『ザ・ビートルズ』収録、1968年発表)をヘヴィメタルの元祖、もしくは最初期楽曲の一つとする説もある。この曲が持つヘヴィ・メタル的な要素として、割れるようなサウンドの歌、後ノリの引きずるようなリズム、リフの上に題名を連呼するだけのシンプルなコーラス部などが挙げられる。 ロバート・フリップは以下のように語っている。「『21世紀のスキッツォイド・マン - 21st Century Schizoid Man』(『クリムゾン・キングの宮殿』収録、1969年)は恐らく、最初のヘヴィ・メタルだったのではないかと私は常々思っていたんだ。(中略)1970年2月に、私はブラック・サバスのステージを観た。とてもヘヴィなバンドだという噂だったが、1年間『スキッツォイド・マン』をプレイしてきた私にとって、ブラック・サバスの音楽はヘヴィには感じられなかった」[1]。パワー・コードを主体に不協和音を巧みに使ったリフ、リズム自体も非常にヘヴィで、歌にもディストーションを掛け、その歌詞のテーマも内面の狂気を歌っているなど、多くのヘヴィ・メタルの要素を持っている。 その他にも1960年代後半からクリーム、ヴァニラ・ファッジ、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ユーライア・ヒープを始めとするラウドなロックが多数現れた。これらのバンドもヘヴィ・メタルの要素を多分に含んでいるが、いずれもハード・ロックという別ジャンルとしてみることが多い。ジャンルとしてヘヴィメタルが成立し始めるのは1970年代末以降である。 [編集] ヘヴィメタルの確立 ヘヴィメタルがジャンルとして確立するきっかけとなったのは、レインボーとジューダス・プリーストの存在であった。 前者レインボーの「ア・ライト・イン・ザ・ブラック」「キル・ザ・キング」で聞くことのできる、ベース・ギターとバスドラム、リズム・ギターの三者が同期するリズムは、インパクトの強い独特の疾走感とドライブ感を演出し、その後のヘヴィメタルの定番中の定番とまで言えるスタイルとなった。特にコージー・パウエルは一時プロ・ミュージシャンを辞めてレーサーになろうかと本気で考えた時期もあったくらい無類のレース好きで、レーシングカーやオートバイのエギゾースト・ノートがヒントになっていると言われている。 後者ジューダス・プリーストは結成当初は比較的オーソドックスなハード・ロックをプレイしていたが、やがて硬質で疾走感のあるギターリフを用い、金属的な高音ボーカルでシャウトするなどの音楽様式を作り出した。さらに1970年代末以降はレザーファッションやフォーメーションなどステージ・パフォーマンスの面でもいわゆる「ヘヴィメタル」のイメージを作り上げ、浸透させた。彼らはステージ上にハーレーダビッドソンのバイクを持ち込むなど、やはりここでもエギゾースト・ノートをそのイメージとして使用している。またドイツのスコーピオンズの存在も重要である。ヘヴィメタルの周辺国でもあったドイツはその後もスコーピオンズに続くグループが現れ続け、ジャーマンメタルの世界を作り出していく。 [編集] NWOBHM ブリティッシュ・ハード・ロックは 1970年代初頭に一時代を築き上げるが、1970年代半ばにパンク・ロック・ムーブメントが起きると、かつてのハードロックは「オールド・ウェーブ」と呼ばれるようになり、ブリティッシュ・ハード・ロック・シーンはその勢いを失っていく。しかしながら、アンダーグラウンドシーンでは様々な若手バンドが頭角を現し、サウンズ誌の記者ジェフ・バートンにより『NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)』と名付けられたこのムーブメントはイギリス全土に広がり、1980年にはアイアン・メイデン、デフ・レパードがメジャーデビューし、シーンは一気に活性化していく。それに先立ちモーターヘッドは、従来のロックンロールやハードロックに重いギターとスピード感のあるリズムを導入し、NWOBHMや後のスラッシュメタルの先駆けになった。また、イギリス国外のバンドがシーンに登場し、ドイツのアクセプト、フランスのトラスト、オランダのバンデンバーグ、デンマークのプリティ・メイズやマーシャル・フェイト、スペインのバロン・ロッホなどが注目された。さらにディープ・パープルのコンピレーション・アルバムが大ヒットするなど、かつてのハード・ロック・バンドの再評価、活躍も見られた。 これに対する日本からの返答として1981年にLOUDNESSがデビュー。1976年にデビューしていたBOW WOWとともに世界進出を果たし、セールス的にも好成績を収める。 [編集] LAメタル・ムーブメント イギリス同様、アメリカにおいても、1980年代に入り、ハードロックシーンは低迷期を迎える。そのような中、モトリー・クルーやラットの成功によりロサンゼルスを中心としたシーンが活性化、LAメタルと呼ばれるジャンルが誕生、ドッケン、W.A.S.P.、ナイト・レンジャー、ボン・ジョヴィなどのバンドが次々とメジャーデビューを果たす。そしてMTVはHM/HRを大々的にバックアップ、ヘヴィメタルの産業化が進んでいくこととなる。 [編集] スラッシュ・メタル NWOBHMそのものは1980年代半ばにその勢いを失ってしまうが、世界各地で「NWOBHMに続け」と若者達がバンドを結成するきっかけとなった。そして、メタリカ、メガデス、アンスラックス、スレイヤーと言う『スラッシュメタル4羽カラス』中心とするバンドなどがより過激な音楽形態であるスラッシュメタルを確立、アンダーグラウンドで人気を獲得していき、後にスラッシュメタルから分化したデスメタル、ブラックメタルが誕生する。 [編集] ヘヴィメタルの産業化と全盛期 1970年代後半から1980年代前半にはアメリカやイギリス以外の国からも多数のヘヴィメタルバンドがアメリカでも受け入れられ、特にオーストラリアのAC/DC、西ドイツ(当時)のスコーピオンズ、日本のラウドネス、カナダのベテラン、ラッシュやトライアンフ等の活動が目立った。1980年代中期のヨーロッパではジューダス・プリーストやアイアン・メイデンの影響を受け、スピードを重視したアップテンポのリズムとメロディックで分かりやすい歌で人気を得たアクセプト、ハロウィンらを初めとするジャーマンメタル、透明感のあるクラシカルなサウンドや幻想的で叙情性のある歌で人気を得るヨーロッパらの活躍があった。80年代後半にはボン・ジョヴィ、デフ・レパード、ホワイトスネイクといったグループがアメリカを中心に天文学的なセールスをあげ、他方でドイツのハロウィン、日本のLOUDNESSなどもビルボードのアルバムチャートに顔を出すなど、全盛期を迎えた。 [編集] 古典的ヘヴィメタルの衰退〜オルタナティブ・メタルの勃興 ヘヴィメタルは1980年代後半に商業的なピークを迎えるが、ポップ・ミュージック化した産業ロックへの反発から生まれたグランジ/オルタナティブ・ロック・ブームにより、1980年代的なヘヴィメタル(いわゆる正統派メタル)は、過去の遺物扱いを受けることになる。そのような状況下では古典的ヘヴィメタルバンドが従来の活動を続けられるはずもなく、バンド再編、有力メンバーの離脱、音楽性の変化などが求められた。当然それに対応できないバンド、あるいは変化の過程でファンの支持を得られなかったバンドは表舞台から消えてしまった。 この状況に楔を打ち込んだのがスラッシュ・メタルの代表メタリカであった。彼らはアルバム『メタリカ』(1991年)でヘヴィメタルの新しい音楽性を示すと同時に2200万枚という大ヒットを飛ばす。そして、パンテラの『俗悪』、ミニストリーの『詩篇69』、ヘルメットの『ミーンタイム』などは数々のバンドの手本とするところとなる。そのパンテラに強く触発されたロブ・ハルフォードがジューダス・プリーストを脱退してFIGHTを結成したことは、この時期の流れを象徴するものといえよう。 この動きに呼応するようにしてヘヴィメタルは若手ミュージシャンを中心にオルタナティブ・メタルとして復活を始める。それは、シンプルなリフに重いギターサウンド、冷徹に現代社会を見つめる歌詞のテーマ、ヒップホップ、レゲエの要素の導入など、時代に求められた様々な要素を注ぎ込んだ新しいメタル像(ニュー・メタル)であった(この流れは一部で90'sエッジとも呼ばれた[要出典])。一方の日本ではこの動きをモダン・ヘヴィネスやヘヴィ・ロックと呼称して区分し、旧来のヘヴィメタルとは違うことを強調したマーケティングが行われた。 このような流れの中、シャロン・オズボーンは、夫オジー・オズボーンが時代の半歩先を行く音楽性で常にヘヴィメタルの象徴であり続けたことを活かし、若手ニューメタル・バンドとオズボーン擁するブラック・サバスという組み合わせで全米をツアーするオズフェストという前代未聞のツアーに打って出る。これは見事に成功し、マリリン・マンソンやスリップノット、コーンなど若手のプロモーションに大きく貢献し、メタルコアなど後続のムーブメントに大きな影響を与えた。さらに結果的にはオジー・オズボーンそしてブラック・サバスを伝説的な存在へと昇華させることにも成功した。 こうして1990年代は、新しい時代にふさわしい姿に成長したバンド、消えていった旧世代のバンド、時代に応じて現れた若手のバンドと、世代交代が急速に進んでいった時代であった。 [編集] 2000年代以降のヘヴィメタル ニュー・メタル勢の音楽は、先鋭化が進んではいたものの、メロディやハーモニーなどが欠落したバンドが少なくなかった。その欠落部分を埋めていったのは、古典的メタルが絶滅せずにすんだヨーロッパ出身の若手バンド群である。アメリカのニューメタル・バンドがヒップホップなどの黒人文化を巧みに取り入れていったのを受け、デスメタルにメロディと和音を取り入れたメロディックデスメタル、同様にクラシック音楽の潤沢なサウンドを取り入れたゴシックメタルなど、新たな動きを生み出していった。この流れは一挙に進み、さらにアメリカではメタルコア、ヨーロッパではシンフォニックメタルを生み出すなど、サブジャンル化(後述)は現在も止まることなく進んでいる。 こうしてヘヴィメタルのスタイルは分散化が進み、空洞化したヘヴィメタルは王道を失っていた。そこへ(再び)現れたのが、1980年代のヘヴィメタルを支えたクラシックメタルの王者であるジューダス・プリーストやアイアン・メイデンらであった。黄金期のラインナップで再興した彼らは新たなアルバムの発売やツアーなど精力的な活動を行い、メタルシーンの活性化に貢献した。シャロン・オズボーンもまたこうした動きを見逃さず、これら2バンドはもちろん1980年代から2000年代で活躍しているバンドが多数参加する一大イベント「オズフェスト」を毎年の定例イベントとして仕上げていった。 現在はジューダス・プリースト、アイアン・メイデンなど正統派のメタル・バンドが復活する一方、若者の支持を集めた新世代ブレット・フォー・マイ・ヴァレンタインやアヴェンジド・セヴンフォールド、根強い人気を保っているスカンジナビアのイン・フレイムスやチルドレン・オブ・ボドム、女性ボーカリストを擁して大衆的な人気を得るに至ったナイトウィッシュやエヴァネッセンスなど、幾多のジャンルにまたがる多くの新バンドが登場してしのぎを削っている。 [編集] 日本におけるヘヴィメタル ジャパニーズ・メタルも参照のこと。 [編集] 1980年代初期 1980年代初期に日本のメタルシーンに大きな影響を与えたアーティストはマイケル・シェンカー・グループ、ゲイリー・ムーア、レインボー、ヴァン・ヘイレンなどである。現在のJ-POPにおいてもマイケル・シェンカーやゲイリー・ムーアに影響されたアーティストは多く、1990年代初期のビーイング系音楽にはそれらしい泣きのフレーズや叙情的なメロディがふんだんに盛り込まれていた。 日本のバンドでは1981年に衝撃的なデビューを遂げたラウドネスが1983年からアメリカツアーを行ったり、1976年デビューのBOW WOWが1982年にレディング・フェスティバルに出演したり、日本でも若いヘヴィメタルバンドを盛り上げるために音楽雑誌のYOUNG GUITARやロッキンfが積極的にメタルフェスを開いていたりと日本でもヘヴィメタルは盛り上がりを見せた。 [編集] 1980年代中期(速弾きブーム) アメリカでのLAメタルブームは日本のバンドにも影響を与え、日本のバンドの殆どがLAメタル系のような派手なルックスになった。その中でも特に派手だった44マグナムの人気は高く、中でも美形ギタリストの広瀬“JIMMY”さとしの女性人気は尋常ではなかった。 また、高崎晃、ジェイク・E・リー、ウォーレン・デ・マルティーニ、ジョージ・リンチらはギターヒーローとしてギター少年の憧れの的となる。その後登場した当時スティーラーだったイングヴェイ・マルムスティーンの出現は、速弾き戦国時代突入の幕開けとなった。 1980年代中期と言えば1984年10月にシンコー・ミュージック・エンタテイメントから創刊された日本初のヘヴィメタル雑誌「BURRN!」の誕生は当時のヘヴィメタルファンには「待ってました!」と言わんばかりの登場であった。当時はインターネットもないためヘヴィメタルの情報が中々入ってこない時代でもあり、日本初のメタル雑誌の登場は更にメタルシーンを盛り上げる結果となった。 84年には日本初の巨大ヘヴィメタル・フェスティバル「スーパー・ロック '84 イン・ジャパン」が西武球場等の各球場で行われ、ホワイトスネイク、マイケル・シェンカー・グループ、スコーピオンズ、ボン・ジョヴィ、アンヴィルらが出演。特にマイケル・シェンカー・グループ出演時におけるレイ・ケネディ(Vo)の臨時参戦とは言え、カンニング・ペーパーを見ながらの中腰で歌う年寄りのようなステージパフォーマンスには批判が集中した。尚、この時のイベントを収めたビデオは後に商品化されたが現在は廃盤であり、DVD化を待ち望んでいる声もある。 [編集] 1980年代中期(ポップメタルへの反逆) メタリカなどのスラッシュメタルバンドがアメリカのアンダーグラウンドシーンで人気を獲得する中、国内でもポップメタルに反逆する第二世代と呼ばれるバンドが次々と登場し、その中でもFLATBACKERやANTHEMは音楽雑誌で第一世代のバンドに毒を吐き、過激な演奏でコアなファンを獲得した。同時期にデビューした聖飢魔IIはBURRN!誌では0点という記録に残る評価を受けたが、ヘヴィメタルファン以外にも支持されていったバンドである。 1985年にはLOUDNESSが世界デビューを飾り、1987年にはVOW WOWが海外を中心に活動を開始した。また、1980年代の日本のメタルシーンはインディーズを中心に盛り上がりを見せ、その中には後にモンスターバンドと化すXの姿もあった。特にXは44マグナム以上に派手なルックスかつ凶暴なパフォーマンスで少しずつ人気を得ていた。また、当時のXは日本のヘヴィメタルシーンをあざ笑うかのようにテレビ番組の出演を繰り返していた。(詳しくはXの項目参照) [編集] 1980年代後半(バンドブーム) 1987年のGuns N' Rosesの登場により、日本のメタルシーンにおいてもGuns N' Rosesのフォロワーが登場した。1989年にデビューしたXについては、音楽面の将来性で多くが期待を持ったものの、マスコミ登場初期に見せたやりたい放題のパフォーマンスに反発、幻滅していった者も少なくない。また、Xの成功と影響を受けてその後次々とデビューしたバンドには、楽曲や演奏技術は二の次でビジュアルとパフォーマンスばかりを過度に重視する、すなわち本来のバンドとしてのスタンスからさえ大きく逸脱した方向性を見せたものさえ出てくる始末であった。これらは若年女性層からの熱狂的な支持こそ受けていたが、ヘヴィメタルのプレイヤーやファンの間には、ヘヴィメタルのイメージに対して大きな誤解を与えるイロモノ(=「本来のその中心から外れているもの」の意)として強い不安感と嫌悪感を生む事になった。 事実、Xの活躍はめざましく、テレビや新聞、女性誌といった一般マスコミにも取り上げられて知名度を大きく上げる事となったが、これは同時にXのスタイルがヘヴィメタルのパブリック・イメージとして急激に浸透してしまうという事態を引き起こすことに繋がった。21世紀に入って現在ですら20代後半〜40代前半の人たちからはこの当時のXのイメージに基づいた、ヘヴィメタルに対する偏ったイメージに根ざした発言が少なからず聞かれるところである。また、漫画などでヘヴィメタルを表現する時は、いまだにメジャーデビュー当時のXや聖飢魔IIを誇張表現した様なキャラクターがフォーマットになってしまっている。(特にギャグ漫画でこの傾向は顕著である) しかし、それまでの日本のヘヴィメタルでは、歌謡曲と同様に一般マスコミから取り扱われる程の大ヒットを記録した曲は無く、従ってヘヴィメタル自体が日本の音楽史にあってはメインの売れ線からは一貫して外れた位置に置かれていた。その為ジャンル全体の情報量が不足している中、ヘヴィメタル分野で事実上初めて一般テレビマスコミにまで注目され話題性を提供できたのが、正統派ヘヴィメタルを好むプレイヤーやファンがイロモノ路線として嫌っていた、聖飢魔IIやXなどの見た目のインパクトも重要視し、音楽よりも視覚的なパフォーマンスでマスコミから扱われていたバンドであった。実際Xなどはメジャーレーベルで発売したCDで数字を叩き出すまでは『ちょっと過激な音楽もできるバラエティタレント』並の扱いしかされていなかった。かくて彼等がヘヴィメタルの見た目の象徴として扱われた為、これらの偏ったイメージが一般に定着してしまったという点は否めない。また、視聴率を至上命題とするテレビマスコミにとっては、それまで巨大ヒットを生み出さなかったヘヴィメタルに対して、そもそも「ロック音楽のイロモノ」程度の認識しか無かったという点も大きい。他にも当時の「BURRN!」などの編集スタイルなどの影響もあり、当時のヘヴィメタルのミュージシャンの多くには音楽一筋というイメージを最重視し、テレビなどでタレント的な活動もするヘヴィメタルやロックのミュージシャンを蔑視する風潮があったと言われており、一般マスコミの持つ大衆への影響力への軽視が招いたツケであるという指摘もある。 いずれにせよ、この1989年に始まったバンドブームにより、派手な見た目やパフォーマンスを重視し演奏を軽んじたバンドが非常に増えた。それらのバンドの多くがXと同系統のファッションという事から「ヘビメタ」と見なされた事により、普通に音楽性を重視して活動していたメタルバンドはその煽りをくらい軽視されるという結果になっていった。こうした経緯から、1990年代には日本のヘヴィメタルは少しずつ、しかし確実に衰退していくこととなる。挙げ句には「BURRN!」でさえ人気投票のBORE部門には「ヘビメタの流行とイカ天ブーム」と言うのがあるくらい、当時のヘヴィメタルファンにはヘビメタは差別用語とみなされてしまっている。その後、インディーズでヘヴィメタルバンドとして活動していたバンドのほとんどがヴィジュアル系へと移行した。またメジャーデビューに際しての所属事務所やレコード会社の販売戦略面からの要求で、音楽性も含めて移行をせざるを得ない状況に追い込まれていったものも多い。 [編集] 1990年代 世界的にヘヴィメタルシーンが力を失ってゆく中、日本国内ではドイツや北欧出身のメタルバンドを中心に依然として人気があり、ハロウィンなどのバンドは安定した人気を持っていた。1989年にデビューしたMr.Bigや1993年デビューのアングラは国内で高い評価を受け、特にMr.Bigは女子高生の支持を得るなど好評を博し、ポール・ギルバートはギターキッズの注目の的であった。1994年にはイングヴェイ・マルムスティーンが日本武道館でのライブを成功させるなど、1990年代以降日本で好調な人気を得て、それ以降も日本を重要なマーケットとして位置づけて、活動している者も少なくない。 しかしこれは海外のバンドに限った事であり、国内のバンドはXの影響を受け、雨後の筍の如く出現してくるヴィジュアル系バンドの全盛の影に完全に隠れてしまい、冬の時代どころか氷河期に陥っていた。それまでの有力バンドは1989年に44マグナムが解散したのを筆頭に、1990年にVOW WOWとEZO、1992年にANTHEM、1994年にアースシェイカーと次々と解散してゆく。また、このHM/HR系の斜陽化とバブル景気後の業態再編や利益性を重視する企業体質への変化の過程の中で、メジャーレーベルではこの時期にバンド整理を実行したものもあり、契約解除の理由はバンドメンバーのスキャンダルなど色々他に付けるとしてもメジャー契約を打ち切られ、新たなる契約先を求めて数多くのバンドが音楽業界をさまようことになった。唯一海外で安定した活動を続けるLOUDNESSにも全盛期の力は既に無く、メンバーチェンジを繰り返しながら2000年のオリジナルメンバー再集結までは細々とした活動が続く事となる。 他方、企画色の強いモノではあったが、1996年にはヘヴィメタルとアニメソングを軽いノリで融合させたアニメタルがデビューし、マスコミが注目した他、カラオケ需要なども発生したことからヘヴィメタルとしては記録的なヒットとなった。これが数年間注目されなかった日本のメタルシーンに再び脚光を与えるきっかけとなる。その後1998年にSEX MACHINEGUNSやConcerto Moonがデビュー、これにより全盛期ほどではないが、多少の活気を取り戻したといえる。 [編集] 2000年代(現在の日本におけるヘヴィメタル) 2000年以降、1980年代に活躍したバンドがオリジナルメンバーや全盛期のメンバーで再結成するなど、ベテランバンドの活動が活発になり、かつてのファンや当時を知らないファンを歓喜させた。2000年以降の有力なバンドには、2000年にBURRN!誌のプッシュを受けデビューしたDOUBLE DEALERや、2001年にメジャーデビューした陰陽座、2003年にデビューしたGalneryusなどがある。しかし、2006年にはSEX MACHINEGUNSが活動休止を表明している。 ルックスに関しては、Galneryus、CROSS HARD、Atomic Tornado等のヴィジュアル系のようなルックスのバンド(現にGalneryusのSyuはかつてヴィジュアル系バンドのメンバーだった)とDOUBLE DEALER、Ark Storm等の1980年代のメタルを継承したバンドに大別できる。 また、国内でもアーク・エネミーやチルドレン・オブ・ボドムの影響でメロディックデスメタルを演奏するバンドも増えている。 一方で、BURRN!等のメディアは国内の若手バンドをあまり取り上げずベテランを大きく扱う傾向にあるため、若手や中堅バンドがあまりスポットを当てられない風潮もある。また、歴史的にもメガヒットがほとんど無いジャンルであるため、テレビの音楽番組への露出やコマーシャルのタイアップに恵まれない事も、若手バンドの知名度向上にはネックとなっている。 また、BEAST FEAST 2001〜2002やサマーソニック、ウドー・ミュージック・フェスティバル、LOUD PARK 06等の大型ロックフェスティバルには日本のヘヴィメタルバンドだけが殆ど呼ばれないといった現象も見られ、こういった事も国内バンドの伸び悩みの原因につながっている。 [編集] ヘヴィメタルのサブジャンル 主に1990年代以降、時代に合わせてサウンドを変更し生き延びるバンドもあれば衰退の波に飲み込まれて消えていくバンドもあった。その一方で、新しいサウンドや他ジャンルのサウンドを貪欲に消化し、様々なスタイルでプレイするヘヴィメタル・バンドが誕生した。 インダストリアルメタル ヴァイキング・メタル オルタナティブ・メタル グラインドコア クラシック・メタル ゴアグラインド ゴシックメタル シンフォニックメタル スピードメタル スラッシュメタル デスメタル デスラッシュ ドゥームメタル ニュー・メタル ネオクラシカルメタル パワーメタル フォーク・メタル ブラックメタル プログレッシブ・メタル ポルカ・メタル ミクスチャー・ロック メタルコア メロディックスピードメタル(メロディック・パワー・メタル) メロディックデスメタル ラウドロック ラップメタル へヴィロック 地域ごとに特有の音楽性が認められる場合、地域別サブジャンルが出来る場合がある。 LAメタル ジャーマンメタル ジャパニーズ・メタル 北欧メタル
BUMP OF CHICKEN MUSIC PLAYER